「囲碁」と「禅」は一脈相通 小僧から修徳寺の住職に就いた道信僧侶
囲碁界と長年縁を結んできた道信僧侶は「歌う修行者」として有名である。1991年から7枚の正規アルバムを発売し、20回余りの単独公演を開催するなど歌いながら布教する僧侶として広く知られている。
瑞山瑞光寺住職時代の2008年には子供囲碁教室を開設し囲碁テンプルステイを運営し、境内で「覺手三昧杯」という囲碁大会まで開くほど囲碁に対する愛が格別だった。「覺手三昧」は悟りの一手を求めて旅立つ旅行という意味だ。
自ら曲を作って作詞しながら詩心を育てた道信僧侶は詩集も発刊した。多方面で布教に努めた功績を認められ、2019年曹渓宗布教大賞功労賞を受賞したこともある。
1970年、8歳の時に礼山修徳寺に入山して出家した道信僧侶が半世紀を越える長い時間を回り、運命のように修徳寺に戻った。昨年4月、曹渓宗第7教区本寺徳崇総林修徳寺第24代住職に就任して話題になった道信僧侶に会った。
– 昨年3月、徳崇叢林修徳寺24代住職に任命されました。8歳の時に出家したのが修徳寺ですが、感慨深いと思います。
もう50年以上の歳月が流れましたね。小僧の時は修徳寺住職と言えば「天下をすべて得たもの」だと思いました。 ところが実際に住職になってみると天空がまたありますね(笑)。
– 歌なら歌、文章なら文章、アマチュア6段の実力の囲碁まで、多芸多才な才能を仏教の大衆化に結び付けていらっしゃるんですが、詩集に続き散文集まで発刊されていたんです。
私がSNSに良い文を載せるんですよ。それをちょうど出版社の関係者がご覧になったようです。その中から良いものを選んでくださったんです。ある日、私を訪ねてきて、この内容で本を出してもいいかということでしたが、読んでみたらそれなりに良いと思い、去年の春に出版することになりました。
道信僧侶は昨年4月、初の散文集である「私が笑うと星が輝き始めた」を出版した。
– 歌はどうやって始めたんですか。
1977年と記憶されていますが、俗離山法住寺に講院に行きました。幼い年でもあり、勉強したくない気持ちで法住寺から出てきたのですが、偶然中光僧侶に会ってソウルに上京することになりました。私が歌うのを聞いた中光僧侶が「あなたは歌で布教をしてみなさい」というアドバイスをしてくださったのがきっかけで、ずっと歌うことになりましたね。あの時は本当に歌が上手でした(笑)。
– 囲碁はいつ習ったんですか。僧侶と囲碁界との初めての出会いが気になります。
かなり遅く習いました。年輩の僧侶だちがたまに囲碁を打っていらっしゃるんですよ。振り返ってみると、あの時の年輩の僧侶たちの棋力が8、9級くらいだったと思います。その方たちに9目の置き碁から教えてもらったんですが、だんだん実力が強くなりましたね。そうやって囲碁に興味を持ち、ソウルに行ったついでに韓国棋院にむやみに足を運び、夕方の囲碁講座に出始めました。そこで田永善(チョンヨンソン)師範に出会い、本格的に学びながら囲碁の味を知りましたね。
– 才能がありましたね。
いいえ、田永善師範が囲碁を本当にたくさん打ってくださったんですが、いつも私におっしゃったことがありました。才能がないんですって(笑)。
– 最近も碁を打つんですか
碁ほど面白いものはありませんが、最近は碁を打つ時間がありませんね。
– 瑞光寺にいらっしゃる時、囲碁界と多くの交流をしました。
囲碁をちょっと育てようとしました。私なりにはたくさんの努力をしました。囲碁道場からもたくさんいらっしゃって、休んで行かれたりしました。宗教人囲碁大会もやっていて、いろいろ囲碁のイベントを企画したのですが、コロナ禍もあったし、後援が続かず中止になったのが残念です。これからもっと大きな寺院に来ているので囲碁界との縁をまた結んでいこうと思っています。
– そういえば、お寺で囲碁大会もたびたび開かれたりしたんですけれども。 仏教と囲碁は一脈相通じる部分があるようです。日本でも阿含宗という仏教宗派が阿含ㆍ桐山杯という大会を後援しているんですよ。
「寂鬪」という言葉があります。「静寂」と戦うのですが、どんな戦闘も静かで戦う戦闘はありません。「禪」と「囲碁」はその部分で一脈相通じるものです。静寂を打破しなければならないのに、静寂は寂しさの最極点なんです。誰とも話すことができません。ひたすら自分自身と自分だけが対話を交わすことができるのに、自分自身と自分がぴったりぶつかると最高の静けさ状態になるのです。だから、これを越えないといけないんです。
その寂しさを乗り越えなければならない部分で、「禅」と「囲碁」の読みのことが一脈相通ずることです。絶えず多くの読みをして、判断しながら、最後の着手は本人が選択しておかなければなりません。話頭もそういうものなんです。 考えを持って行く途中、考えのある路地でその一つの考えを選択して、もうその道に行かなければならないんです。そして他のことは全部捨てなければならないんです。他のことをすべて捨てなければ、決められたその道を進むのができないこと。この部分が仏教と囲碁が同じだと思います。
確信が確実になれば、その考えが正確に合致したのであり、確信がない中でその考えを持っていけば、必ずそれはいつか再び修正しなければならず、後悔することになるのです。そのような部分で「禪」と「囲碁」はこのように相通じる部分があるのです。「寂鬪」という部分ですね。
– 詩も何本か書きましたが、曲を作詞しながら自然に詩心を育ててこられたんですか。
歌を歌っているうちにいろんな歌詞を書くようになりましたが、良い歌詞を解き明かそうとすると自然に詩につながりましたね。
– 歌はどうやって作ったんですか?
作曲を別に習いました。音楽学院にも通い、ギタリストの申重鉉(シンジュンヒョン)先生に長い間勉強しました。申重鉉先生の作曲の師匠であるイギョスク先生にも勉強をしました。
– 歌うお坊さんとして有名ですが、最近は公演があまりないようです。囲碁界のための「勝負師の歌」があるほど歌と囲碁に愛情たっぷりじゃないですか。
舞台で歌うことはもうしないと宣言してしまいました。私が歌を40年以上歌ったんですが、最後に舞台に立ったのが蔚山だったようですね。その時、ギャラが100万ウォンだったと思うんですが、最近人気のある歌手たちのギャラがすごいじゃないですか。その時、100万ウォンをもらって終えました(笑)。
– 最近、僧服を着てDJ公演したニュージン(New進)僧侶が、国際的な議論を呼んでいるというニュースが報道されました。お坊さんはどう思いますか。
時代的な要求のようです。私たちが何かをするということは、私が自発的に考えてやっているようですが、実はそうではなく、この時代がそれを要求しているのです。誰かはそれをしてくれなければならないのにしてくれる人がいないから、その人がよりによってまたそんなことが好きになったのです。
私が生きてきた過程もこのようにずっと見れば私が望んでしたようですが、実はその時代に、そのようなことをしなければならない、そのような要求する部分があったようです。それで、そういう時代的な要求なので、それが良い、悪いと思う部分ではないと私は見ているのです。だから、この時代に応えているなら、私はそれが正しいと思うのです。
そういう方が登場して、とにかくそれを通じて ヒーリングしてるじゃないですか。ところで、一般的な修行者がニュージン僧侶のようなことができるのでしょうか?やらせてもできません。
– 以前修徳寺で王位戦の挑戦棋もあり、アマチュア囲碁大会も開かれたことがありましたが、今後囲碁大会を開く考えはありますか。
私が来たから、もうやらないわけがないでしょう(笑)。確かにしますが、私がここに来てから1年5ヶ月しか経っていないので、時期的にもう少し時間がかかると思います。
私たちの考えがどれほど重要かわかりません。障害物だと思った瞬間、その石は私たちの敵になりますが、踏み石だと考えを変えた瞬間、その石が私の成功の動機になります。私たちの考えは、私たちの意志によっていくらでも変えることができます。そうできないと考えたり、しない私たちが問題です。
「私が笑うと星が輝き始めた」抜粋