2021年10月01日 中国囲碁事情

前回(2021年6月号)は大慶市が囲碁の街としての顔作りに大きく貢献した柁嘉熹(だ かき、トゥオ ジャシ)九段と李 赫(り かく、リ・ハ)五段を紹介した。

この二人の優秀な棋士の育ての親はと言えば、なんと同じ人物で、その名は李立君だ。

李さんは中学校を卒業してすぐ大慶市の工場で働き、故郷は同じ黒竜江省内の地方の町だ。おそらく知識人の父親の転勤に伴って大慶市に移住したと思われる。出身地の街に帰省した時、偶然日本語で書かれた囲碁関係の書籍を見つけて、囲碁の上達のために日本語の勉強を始めたそうだ。

レベルアップのために彼は休みの日は遠い北京へ出かけ、北京にある囲碁ナショナルチームで修行を重ねた。朝8時から翌早朝3時までずっと囲碁を打つ。対戦した局の数はなんと28回に達し、最後は失神してしまった日もあった。必死の努力は報われ、全中国石油業界の囲碁大会で2位に輝いた。

1983年、大慶市石油化工総廠で青少年科学宮(青少年活動センター)が建設され、李さんは囲碁クラスのコーチに任命された。当時の青少年科学宮の責任者は李さんに、囲碁クラスの運営には自信があるのか、と聞かれた。すると、李さん「2年間で省(日本の都道府県相当)」チームに、5年間でナショナルチームに、必ず選手を送ります、と答えた。李さんの目標は見事に達成し、その20年後は世界で名前が知られるレベルの棋士を次々と世に送った。

李さんの功績は全中国から注目され、中国の囲碁界からも高く評価された。2007年中国囲碁第一人者の聶衛平氏が大慶に訪れた時は、あなたがやったことは囲碁界の誰でもできるようなことではなく、これはお世辞じゃなくて本当に尊敬しています、と李さんの功績を讃え、李さん個人の囲碁学校のために、「李立君囲棋道場」という自身の名前入りの書をプレゼントした。

囲碁のために日本語を勉強したという李さんだが、機会があったら是非直接本人に取材し、現在の日本への思いについて語ってもらいたい。囲碁の街という大慶市のもう一つの顔の形成に日本も貢献していたと言えるだろう。(完)

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