囲碁の街あれこれ
このコーナーでは囲碁のおかげで注目されている中国のいろいろな街を紹介します。
第1号は、こちらの町・大慶です。囲碁の街という側面の形成に日本が深くかかわっているため、第1号として上中下3回に分けて少し詳しくご紹介します。
石油の町・大慶の囲碁スターたち(上)
日本には豊田市や天理市のような特殊な産業(宗教)などに特化した街があると同じように、中国にも色々な変わった町があります。
その一つが石油の街に特化した大慶市です。 大慶市は黒竜江省の西南の端に位置し、遼寧省と接しています。
この地域は旧満州地方にあたり、気候的にも地理的にも北海道によく似ていますので、北海道を想像しながらこの記事を読んでいただくと分かりやすいでしょう。
約120年前の19世紀末まで、この辺りはまだ何もない森林地帯でした。
集落すら存在しなく、時々猟師たちが訪れるくらいでした。しかし、19世紀末にロシアが極東鉄道を建設する時、なぜかここに駅を作りました。以来、次第にこの近辺の開拓が始まり、集落もいくつかできました。
1906年に清国がここに安達撫民府を設置し、同13年に安達県(日本の市町村相当)に改めました。
1955年に中国がこの地域で石油の掘削を開始し、同59年9月25日に大規模な油田が見つかり、中国で1番目、世界で10番目の大きさと判明しました。10月1日の国慶節の直前ということで、大慶油田と命名されました。
これを機に安達県は安達市に改め、1964年に安達特区が設立されました。国は石油の掘削と石油関連製品の製造に必要な人材を空前の規模で全国から猛ピッチで集め、町は世界で類を見ないようなスピードで発展していきます。
もともとせいぜい数万人程度の町の人口は、数十年の間に数百万人(日本の3番目に大きい町・名古屋の人口に匹敵する)の大都会に変貌しました。1979年12月14日に安達特区が大慶市と改称されます。
急速に全中国から集められた移住者の多くは、技術者をはじめとする知識人で、この町の独特な市民層を形成します。知識人がかなりの割合を占めるこの市民層は後に大慶市が囲碁の天才を輩出する土壌となっていきます。(つづく)(画像はウェキペティアより)