劉小光の中国と日本
【少年時代の苦労】
1960年生まれ、還暦を迎えて引退することになった劉小光9段に 中国のメディアから焦点を当てられている。
今日頭条(本日のトップニュース)というサイトに掲載された劉小光9段に関する記事の抜粋を紹介します。
劉小光9段は河南省の出身で、13歳になった1973年に河南省の囲碁大会でチャンピオンになった。これで一躍有名になった劉小光少年は翌年の74年に河南省立囲碁チームにスカウトされる。
しかし、当時はまだ文化大革命の真っただ中で、スポーツ少年の入隊さえ政治的な審査を受けなければならなかった。残念ながら父親が反革命の右派と認定されていたため、 劉少年の入隊は政治審査にひっかかった。
当時の河南省中国共産党のトップ・劉建勲がこの件を知り、天才少年の才能を政治審査のために抹消されるわけにはいかないと判断し、積極的に働いてくれて、劉小光少年はやっと何とか河南省立囲碁チームに入隊ができて美談になった。
【日本滞在についてのエピソード】
劉小光9段も当然のことで若い頃、日本で囲碁大会に参加する機会が多く、何度も日本を訪れた。他の中国の囲碁棋士と違って、劉小光9段は日本に関心があるだけではなく、日本語の勉強もしていた。
日本滞在中のある日、東京都内を散歩していたら、劉小光9段は迷子になってしまった。日本語を多少話せる彼は近くの交番に助けを求めた。
片言の日本語で警察と会話し、自分は試合のために中国から来た囲碁の棋士だと伝えたら、警察がたいへん親切に優しく対応してくれて、宿まで送ってくれた。これが彼の日本滞在中の一番の思い出になっているようだ。
日本にもたびたび訪れ、大活躍していた頃の劉小光9段
劉小光近影
記事要約と写真は「今日頭条」より