聶衛平、息子との和解の物語(上)
聶衛平は中国では1980年代以前に生まれた人なら、囲碁界のみならず、一般の人の間でもその名を知らない人がいないほど有名だった。
1984年から始まった日本と中国の勝ち抜き対抗戦「日中スーパー囲碁」での大活躍ぶりが世間を驚き、中国では国民的英雄となり、この功績により1988年3月26日に中国囲棋協会から「棋聖」の称号を授与された。
もちろん、日本の囲碁ファンの間でもその名は相当知られ、自然のことで、一有名な中国棋士として日本との関わりは深い。興味深いことに、囲碁の世界だけではなく、プライベートの方も彼は日本とかなり深い縁を結んでいる。というのは、彼の実の息子が幼いころに日本に移住し、その後日本に帰化しているからだ。彼の息子の名前は、孔令文である。
中国人なら彼の息子の名前を見た瞬間、まずは、なぜ息子さんは父親の苗字を名乗らないのかと疑問を感じる。実は父親の苗字と違うこの「孔」という姓が聶衛平親子の波乱万丈の人生を物語っている。
まず父親の聶衛平の話しから始めよう。1980年代半ば頃に一躍国民的英雄となり、囲碁の世界で順風満帆に見えた聶衛平だが、私生活の方はそうでもなかったようだ。
1980年、孔祥明と結婚する。約10年後に離婚し、すぐ再婚して約10年後にまた離婚し、2001年に3回目の結婚をしている。
1回目の結婚の夫人に当たる孔祥明と一子をもうける。聶云骢と名付けられ、のちの孔令文である。聶云骢が10歳の時、それまで安定して羨ましがられた家庭が崩壊し、余儀なくシングルマザーについて日本に渡った。
日本に移住した最初の頃は母親と共に苦労ばかりで、幸せな家庭の崩壊は父親が母以外の女性を愛するようになった、いわば不倫が原因だと思っていた息子はますます父親を恨むようなっていってしまった。
父親の苗字を名乗る聶云骢という名前は捨て、 母親の名字を名乗るように孔令文に改名し、父親とは絶縁状態になってしまった。(つづく)
「写真・本文「百度百科」より」